なんで「ネット界隈の有名人 < マスメディアの有名人」なんだろう

最初にまず言わせていただきたいのが、「ネット界の有名人のほうがショボい」だとか、「マスメディアの有名人のほうがきっとすごい」だとかを言うつもりは毛頭ないです。はっきり言って、全くないです。

ただ、事実として、少なくとも僕が、そしていくらかの日本中の人が、「何故かネット界の有名人について素直にかっこいいと思えない」という認識を持っています。

これは別に有名人に限らず、例えば「合コンで知り合って付き合った」と報告してきた人と「ネットで知り合って付き合った」と報告してきた人、どちらがかっこいいか、いや、もっとハッキリ言うと、どちらが”ださいか”を考えた時に、不思議と「ネットで知り合った」と聞いたほうが「え・・・?(笑)」となるはず。いや、これが大多数の意見や!とは決して思わないし、そう思いたくもないんですが、周りと話していてもその傾向はやはりあるのです。
ネットで…知り合った…の?と。それを決して顔に出さないとしても、その報告してきた友達との距離感を考慮して反応を計算して。

 

ネットで、という言葉にカッコ良さを感じられない。

これは何でなんだろう。「ネットで有名な○○さん」というのは、ネットという有象無象、実力主義な世界で、頭角をあらわし、ファンを楽しませ、ネットニュースであわよくば全世界を騒がせる、という、本当にすごいことをしているのに。どんだけ大企業が金つぎこんでコンテンツ作っても、小学生の女の子が作った動画がそれを圧倒的に下す、という残酷で鋭い世界の中で、大数の支持を得るという過酷さ。ネット界で有名な人は全員スゴイ!とは言ってません。中身空っぽだと揶揄されていることが多いのも事実だと感じております。
ただ、それはマスメディアの有名人でもまっっったく同じだと思います。

それなのに何故か脳内では同じ扱いを、理屈では同じ扱いをしているのですが、どうも直感的に生理的には違うのです。

何故ネット界の人がテレビに出てるの見ると「出世した」と思ってしまうのだろう。
何故ウェブサイトが雑誌に紹介されてるのを見ると「おー、ここまで有名になったんだ」と思ってしまうのだろう。
そう思いたくないのに!

 

無理やり出した仮説は「膨大なフィードバックを経て生き残った」感

何かのマス媒体に掲載するときには、有名人にしろ、過程には「必ず」直接いろいろな人と会話しなくてはいけないことが直感的に生理的にわかる。感じる。

しかしネットはそのことが想像しづらい世界。いわば「甘ちゃん坊や」だと勝手に思われてしまう損さがある気がします。(罵声は大量に浴びるのに。と思ったんですけど、いや、というかだからこそ罵声を沢山浴びるんですかね。嫉妬とは自分と近しい存在だと感じる相手にしか湧かないはずで、罵声は怒りであり、その怒りの大半は「なんでこんな奴が」という嫉妬が原因なのでは、と)

リアルで人と会っているということで膨大な濃密なフィードバックが不可避な環境。

んー、でももっとネット界に対する認知をよくしたいですな。
もっとマスと同じくらいに。
問題は沢山あるんでしょうけど、ネット界にマイナスイメージを焼印する人たちは沢山いるんでしょうけど、本当に凄いなと感じる人も沢山いるのになあ。