ポッキーの日の発注ミスと、ネットの正義センサーと、リアルの「そうは言っても、ねえ?」
「誤発注しちゃった☆助けて!!」→「助けようぜ!!」(笑)
ポッキー10倍も誤発注、青ざめた大学生協に… : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
またどこかの生協がやらかしたらしいです。
この手の”桁の発注ミス”、過去に何度もありましたよね…。
もうさすがにわざとだろ、と思っていると、2chでもそういう意見がチラホラ。
【同情商法?】ポッキー大量『発注ミス3200個』北九州大学生協がSNSで購入支援呼びかけ話題に。 : オレ的VIPPER速報@2ch
いや、そう感じますよね。わかるわかる。
ネットでは割と冷めた意見(「もう飽きたわ」「流石にアウト」「胡散臭い」「そんなにリツイートされたいの?」)が散見されてます。
しかし、読売新聞の記事を見ると、
学生たちがツイッターやLINE(無料通話アプリ)で購入を呼びかけ、支援の輪が急速に拡大。これまでの4営業日で普段の100倍近い1700個が売れる異例の展開となっている。
とのことで、リアル(現場)では少なくとも別に大規模な嫌悪感は無い様子。
このリアルとネットでの違いって何なんでしょうか。
ネットでの冷めた見方と、リアルでの感動的(笑)な展開との違いって?
ネットでの冷めた見方に対して、なぜリアルでは未だに好意的に受け止められているのでしょうか。
・「あのよくtwitterで見るパターンだ!」となり、その現場を体験したかった
っていうのが考えられるかもしれません。
でも、それだけだったら写メってtwitterに流せばいいだけで、「1700個売れた」ことが少し不思議。もっと強い感情があったはず。
実際に、記事の中でも
お菓子を買いに来た法学部2年生(19)は「ツイッターで話題になっていたので貢献しようと、5個買いました」と笑顔を見せた。
と、少なくともわざわざ数個買っている学生が数百人いてもおかしくないぐらいに売れている。だとしたら、
・リアルでの正義センサーとネットでの正義センサーの質が違う
なのではないか、と。
リアルの正義センサーとネットの正義センサーはまだ違う?
今回の「ポッキーの日に誤発注しちゃった☆騒動」、こんなにもネットとリアルでの反応が違った原因は、
「リアルでの正義センサーとネットでの正義センサーが違う」
ことにあるんじゃないか、と思うのです。
ネットは基本ひとりで見るものであるため、自分の中で純化された正義を他人に対して使うことが出来ます。(いわゆる”自分を棚に上げて”)
誰からも見られない非常に安心する立場でリアルを見られるため、どんな人でもどうしてもそうなってしまいがち。
それに対してリアルでは、意見を述べると逆にすぐに嫌でも他人からの何らかのフィードバックをうけます(良くも悪くも)。ゆえに最初に自分の中に厳しい正義基準が出来ても、よっぽど周りに自分とうり二つな人間だけがいるとかじゃないかぎり、それはマイルドになっていきます。「そうは言ったって、ねえ?」が一人でいる時よりも大きくなります。
今回の「ポッキー誤発注」の場合も、きっと一人でネットで見ている分には、各々の純化された正義基準が顔を出してきて「流石にもうわざとだろあざと過ぎだろそんなんで儲けんなよ」と言いたくなります。
しかし、いざリアルの場にいる人間は、一度たとえそう思っても、周りが「まあポッキーの日だし1個ぐらい食べね?」と言い出せば、まあいっか、となる可能性が非常に大きい。全員が全員厳しい正義基準を持っている場合なんてそうそうないだろうし。
ネットでは厳しく見られることも、(そしてそれは正しい時ももちろん多いのですが)まだまだリアルでは、「そうは言っても、ねえ?」が強いのだな、と今回の事件でふと思いました。とくに同調意識が強いこの国では、まだまだそんな感じな気がします。
いくらネットで「これは正義じゃねえだろwww」と言っていたって、リアルでは「そうは言っても、ねえ?」が頭をもたげてしまう。
ネットとリアルでは思考回路が変わるから、
ネットによってリアルの意志決定が変わる、というのは、まだなかなか難しいのかもな、と感じました。